「絶望読書」(頭木弘樹) 人はどんな「物語」を紡ぎ出すべきか

転機に見出す新たな物語

 挫折や失敗、喪失、苦難など絶望的な転機を迎え、あらかじめ描いた「理想的な」物語の修正を迫られたものの、新たな物語の方向性をなかなか決められないことは頻繁にある。そのようなとき、初めに描いた物語こそ「本当の人生」であるとしていつまでも固執していては、満足のいく結果にはたどり着けないだろう。そういうときに必要なのが、他者の描いた物語を参考にすることである。

 不器用でいつもおどおどしていた19歳の彼女が物語で自分自身の統一を取り戻せたように、この世のことをまだよく知らない幼な子がお話を読んで聞かせてほしいとせがむように、不安なまま、無知なまま、虚心で物語を求めることが必要である。

 「心をいれかえて幼な子のようにならなければ、天国にはいることはできないであろう」(マタイによる福音書18章3〜4節)

 クリスチャンである私としては、この一節もまた、幸福に至るよすがとなる物語を謙虚に求めよとの示唆を含んでいるように思える。

絶望の本が必要な理由

 絶望の物語が必要な理由を論じるために、著者は作家カフカのエピソードを引いている。ある日カフカが散歩していると、ひとりの少女が泣いていた。大切な人形をなくしてしまったという。そこでカフカは少女に言った。

 「お人形はね、ちょっと旅行に出ただけなんだ」

 その翌日からカフカは、旅に出た人形からの手紙を書いて少女に渡した。結核のため余命1年足らずという窮地にあったカフカは、小説を書くときと同じように全身全霊を込めてその手紙を書いた。旅先での人形の冒険の様子を描いた手紙は数週間続いた。そして、人形は遠い国で結婚をして幸せになりましたと結んだ。

 新しく人形を買って少女にプレゼントするのではなく、このような結末の手紙を書き続けた理由をカフカは「ちゃんとした結末でなければ、人形をなくして心の秩序を失った少女が新たな秩序を得ることができないからである」としている。

 回復したいものが回復できない場合に、子どもであれ大人であれ、新たな秩序を得るために必要なのが物語である。絶望する心に寄り添い共感しつつ、新たな見方を提示する物語が、絶望を癒やすというのである。

「同質効果」と「異質への転導」

 絶望への共感により癒やしを得られることについて、2つの考え方を著者は示している。「アリストテレスの同質効果」と「ピタゴラスの逆療法」である。前者は「そのときの気分と同じ音楽を聴けば癒やされる」という考え方。後者は「悲しみを打ち消す明るい曲を聴くほうがいい」というもので、これが「異質への転導」である。

 互いに正反対の考え方だが、いずれも正しいという。まず前者の同質の原理を経てから異質への転導へ移行すると、スムーズに絶望から立ち直れるとされる。それと同様、絶望したときにはまず絶望の本がよいと著者は論じている。暗い絶望のときに明るすぎる光を浴びると、まぶしすぎて却って辛い。絶望のときは、救われたいと願いながらどうしていいかわからない状態なので、まず十分に沈みきってから徐々に浮かび上がるほうがよい。

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