【漱石インスパイア】

2016年6月 実家にて 

 実家は私の住まいから徒歩5分以内の場所にあるが、特段の用事でもない限り行き来することはさほど多くはない。そのためか、実家で暮らす猫の「こむぎ」はかつて、私の顔をなかなか覚えてくれなかった。そういった時期のことを思い返しつつ、ある日撮ったこむぎの写真を見ながら数年前に浮かんだのが次のような文章で、それに少々手を加えてみた。

 何の役にも立たず何の学びも教養ももたらすものではない。我が家の日常の一場面とこむぎの様子を夏目漱石「吾輩は猫である」風に記しただけのごく短い戯れの紹介文である。時折そんなことをしながら文字を加えたり削ったりしていじくりまわしている。

吾輩は猫である。名前はこむぎ

 どこで生まれたものやらとんと見当はつかぬが、現在腰を落ち着けている北海道ではなかったということだけは、日々吾輩の食い物の支度をし何やかやと世話を焼く女主人から知らされた。平生は女主人とその老母が吾輩の面倒を見ていたが、老母は介護施設なるところへ一時転居(やうつり)したとのことで、この住まいにはおらぬ。女主人も老母も至って善良なる人間で心持ちよく交際できるのだが、ときたまやってくる大男の有り様には閉口する。なんでも女主人の兄だそうである。

 「毛をもって装飾されべきはずの顔がつるつるしてまるで薬缶だ」

 この世に来る前、ただ「吾輩」とのみ名乗りついぞ名を持たぬ猫は、人間をそのように描写していた。こんな片輪には一度も出会したことがないとも述懐していたが、この大男、顔はおろか頭にまるで毛がないとは恐れいった。ここまで来ると狐狸妖怪の類と疑わざるを得まい。

 何年も前のある日の午後、老母が昼餉を済ませて一刻ほども過ぎた頃だったか、この男が我が家にやってきたことが匂いで知れた。ことによっては退治してくれんと身構えておったが、戸が開いた時に見えた男の頭はその日は黒いもので装飾されていた。とはいっても毛ではない。真っ黒い小ぶりな編笠のようなものを乗せている。様子がいつもと違うのが不思議ではあったが、吾輩もいくらか興味をそそられた。長椅子の上に飛び乗って男の腹あたりに鼻を近づけると、男はごつごつした手を吾輩の頭に乗せてなでた。存外性質の悪い人間ではないのかも知れぬ。

 吾輩の暮らしている北海道という土地では、口から発する音声の抑揚に甚だ癖のある者に時々出会す。編笠の大男もその一人である。高くなり低くなり、かと思えば間延びしたような調子で、極めて呑気な性質を示しているように思われる。

 吾輩が男の腹に顔を持っていったのを、親愛の情を示したとでも思ったか、男は大げさに目をひんむいて声を裏返しながら、

「これはこれはご丁寧にどうも」

 などと人の機嫌を取る幇間のごとき言葉を発して編笠を取り、吾輩に向かってぺこりと頭を下げて見せた。途端に吾輩の目の前に現れたのはあのつるつると光る禿頭である。きゃっと叫び声を上げそうになったがそこはこらえた。ただ踵を返して走って逃げた。「牡に生まれながらなんてぇざまだ」と、「吾輩」君からその噂をたびたび聞かされていた「俥屋の黒」君などは嘲笑うやも知れぬが、気味が悪いのだから致し方あるまい。身を低くして足の長い飯台の下で身を低くして隠れて様子を窺っていると、男は老母と大声で笑った。

 「なんだ、お前はこの頭が怖かったのか。だからいつも逃げまわっていたのだな。は、は、は」

 珍奇きわまりないものをいきなり見せつけておきながら、なんだとはなんだ。とは思うものの、吾輩は人間の如く言葉を発して抗議する術を知らぬ。こんな時は努めて平静を装い、香箱などを組んで知らん顔を決め込むより他はないのである。

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