落語に「千両みかん」というネタがあります。主に6月頃のジメジメとした梅雨の時期にかけられることの多い演題ですが、今なおダラダラと続く暑さ、やや遅れてきた感のある台風、そしてコロナ禍と、気の重くなることばかりが重なる今年は、あえてこの時期に取り上げてみてもよいのではないかと思います。
噺の結末は、落語らしいばかばかしさを笑い飛ばせるものでありながら、同時にいくつかの思索を促す一面も備えています。落語は、その淵源に仏教法話としての性質も備えていたという事情もあり、あれこれ考えを巡らせる楽しさもあります。今日はその思索のきっかけをいくつか挙げてみます。
また、高野山真言宗の僧侶である桐生俊雅師がYouTubeで、筋書きの一部が似通っていて結末の異なる話(実話をもとに構成されたとされるもの。このブログでは、タイトルを「サキちゃんのぶどう」としました)をシェアしておられるので、並行してご紹介します。
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目次
・「千両みかん」 あらすじ
・「サキちゃんのぶどう」 あらすじ
・助けを求めるという自己責任
・目的合理性と価値合理性
・向かう先の異なる慈悲
・寛容の能動性
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・「千両みかん」 あらすじ
とある大きな商家の若旦那、患いついて長いこと床に伏せております。江戸で一番の名医と呼ばれる医者を呼んで診てもらうと、「体にはどこにも具合の悪いところはない。何か思い悩んでいることがあると見る。その悩みさえ解決できれば元気になるだろう」と言う。
父である大旦那も「親の私にも言えないような悩みごとを抱え込んでいるのか」と心配になり、若旦那が赤ん坊の頃から親しく面倒を見てくれた番頭に、それとなく悩みを聞き出してくるよう命じました。
若旦那の寝ている座敷で番頭が尋ねてみると、このところ寝ても覚めても頭から離れないことがあると打ち明ける。
「あの、やわらかな・・・ふっくらとした・・・」
「あぁ、なるほど。そうでしょう。誰でも若い男ってものはそういうものなんですよ。何もきまりが悪いなんてことはありません。あたしにも若い頃にはそういった覚えがありましたからね」
「肌のつやつやとした・・・みずみずしい・・・香りのいい・・・」
「えぇえぇ、そうでしょう。どこかのご婦人のことをお思いになってらっしゃるんでしょう」
「そんなことじゃないんだよぉ」
「それじゃぁ、何なんです?」
「それが言えるくらいなら病気になんかなったりするもんか。口に出したところで、決して叶うはずのないことなんだよ。だから、黙って死ぬことにするから、このままそっとしておいてくれないか」
「そうはおっしゃいますが、言ってみなければわからないじゃありませんか。私にできることがあれば、命に代えてもお役に立ちますよ。おっしゃいなさいな」
「子どもの頃からわがままいっぱいに育ててもらった私だけどね、今度ばかりはどう逆立ちしたって叶うわけがないんだよ。望みを口にしたところで、親の心配も増すばかりだ。言うも不幸、言わぬも不幸なら、何も言わずに死ぬよ」
「二言目には死ぬ死ぬってぇますがねぇ、あなたも胸に何かが引っかかったまんまで死ぬのも気持ちよくないでしょう。そこまで死ぬと決めてらっしゃるんなら、せめて何かおっしゃってからにしてくださいな」
「そこまで言ってくれるんなら話をするけど、実はねぇ番頭、あのやわらかな・・・キメの細かい・・・みずみずしい・・・ふっくらとした・・・香りのいい・・・みかんが食べたい・・・」
「へっ?みかんですって?いい加減にしてくださいな、何事かと思ったじゃありませんか。そんなことでしたらお安いご用ですよ。みかんくらい、いくらだってご用意いたしますよ」
「本当かぃ?」
「もちろんですとも!」
「それなら番頭、よろしく頼むよ」
事の次第を大旦那に伝える番頭。
「旦那さま、聞き出してまいりました。何事かと思ったら、みかんが食べたいとこうおっしゃるんですよ。なぁんだそんなことですか、お安いご用ですと申し上げましたら、若旦那の頬にぽっと赤みが差しました。みかんを召し上がりさえすればお元気になられるんですから、わけもないことです」
「ふむ、番頭・・・お前、本当にみかんを用意すると言ったのかぃ?この暑いさなかにみかんが買えるのかぃ?」
「・・・はっ!そうでした!買えません!あれだけ大騒ぎをしてようやく聞き出してみればみかんとおっしゃるので、なんだそんなことかと思ったとたんについ請け合ってしまいました。あいすみません、うっかりしておりました」
「うっかりで済む話じゃないよ、番頭。あれだけがっかりしていた者をぬか喜びさせておいて、やっぱりありませんでしたなんて言おうものなら、そのときこそぽっくり逝ってしまうよ。そうなったらお前は主殺しだ。直に手を下すわけじゃなくても、何より重い罪だよ主殺しや親殺しは。ことによっては江戸中引き回しの上逆さ磔だよ」
「そ、それは困ります!どうかご勘弁ください!」
「あぁ勘弁しましょう、赦しましょう、私はね。だけどね、主殺しとなればお上は赦してくださらないだろうね。どうするつもりだぃ?」
「ぐずぐずしててもしかたがありません。江戸は広いんでございますから、きっとどこかに一つくらいはみかんがあるかもしれません。今から探してまいります!」
そうは言ったものの、真夏のさなかにみかんなど、どこにもあるはずがありません。それでも八百屋という八百屋を片っ端から回ってみましたが見つからない。しまいには鶏屋にまで飛び込んでみかんをくれと言い出す始末で大騒ぎ。その鶏屋の主人、この時分に八百屋をいくら回ったところで見つかるはずはないからと、神田多町の青物問屋街に万惣というみかん問屋があるからそこで聞いてみてはと勧めました。
万惣にて、
「あの・・・みかん、ありますか?」
「はぃ、ございます」
「く、ください!みかんください!」
取り乱したようにみかんをくださいと叫ぶ番頭の様子を見て、万惣の主人はあっけにとられたものの、すぐに店の若い者に声をかけて、みかんを囲ってある蔵を残らず開くようにと命じました。ところが酷暑のさなか、腐ってドロドロになったものばかりで、とても売り物になりそうなものは見つかりません。
「お客さま、おあきらめくださいまし。なにしろ今年はみかんの出来がたいへんよろしくて、甘みの強いものばかりでございました。そういったみかんは特に長持ちがいたしません。ごらんの通り、どの箱のみかんもすでにドロドロでございます」
「そ、そこをなんとか!どうしても一つだけでも買いたいんでございます。もう一度調べていただけませんでしょうか!」
あまりに必死なので、主人ももう一度目を凝らしてよさそうなものを探しにかかりますと、たった一つだけまともなものが見つかりました。
「お客さま、これ一つだけでございますが、まともなものがございました」
「あ、ありがとうございます!おかげさまで人の命が二つ助かりました!」
大げさなことを言う客だと思いながらも、たった一つとはいえ売り物になるみかんが見つかって主人も満足げ。
「そのみかん、おいくらでございましょうか?」
「・・・千両いただきます」
「せ、千両?!それはいくらなんでも買えません!高すぎます!十両盗めば首が飛ぶというこの世の中に、人の命が百人分じゃありませんか!そんな法外な!」
ところが万惣の主人は落ち着いてこう言います。
「このみかん一つが千両というのは、私はむしろ安いと思います。この広い江戸で、みかん問屋ののれんを下げているのは手前ども一軒だけでございます。毎年、腐るのを承知でこうして蔵にみかんを囲っておりますのも、みかん問屋ののれんあればこそでございます。この暑いさなかにみかんを欲しいとおっしゃるお客様は五年に一度、あるいは十年に一度あるかなしかでございます。そのときに、みかん問屋の誇りにかけて、みかんがないとは言えません。商人はのれんを何より大事にいたします。毎年、蔵をまるごと一つ使って、こうしてみかんを腐らせております。ここに一つ見つかったまともなみかんは、これまで長年の間に囲ってきた何百箱、何千箱というみかん箱の中から残った一つでございます。手前どもは商人でございます。買い手がつきましたら、それまでの元はそっくり掛けさせていただきます。お見受けしたところ、あなたも商人のご様子。手前どものこの理屈がおわかりでしょうか」
長年商家に勤めてきた番頭、この理屈は十分すぎるほど理解できます。しかし千両といえば現代の価値に直せば数千万円〜一億円もの大金。自分一人で請け合うことはできないので、すぐに店に取って返し、大旦那に報告しました。
「・・・というわけで、千両なんでございます。およそ法外なので、私一人では決められませんでした」
「千両?安いじゃないか」
「や、安い?でも、ほんの小さなみかんですよ。それがたった一つですよ」
「人の命は、千両、万両と積んだところで買えるものではないだろう。ましてや、せがれの命だ。早く買ってきて、せがれに食べさせてやっておくれ」
力のある若い者を二人、差し担いで千両箱を担がせて万惣へ。それと引き換えにたった一つのみかんを買ってきて、若旦那の元へ。
「若旦那、たった一つでございます。申し訳ございません。でも、こうして見つかりました」
「あっ、本当だ!みかんだ!番頭、よく見つけてきてくれたねぇ。ありがとう!」
「お礼なら私ではなくて、これを買うお金を出してくださった大旦那さまにおっしゃってください。そのみかん一つ、いくらだとお思いになりますか?千両でございますよ!」
「千両?ふ〜ん・・・」
大豪商のせがれとして贅沢いっぱいで育った若旦那、千両と聞いてもさほど心に響かない様子。腑に落ちない思いをしながらも、番頭は若旦那のためにみかんの皮を丁寧にむいて差し出しました。
「この皮だってきっと五両や十両の値打ちはございます。中身は十房ありますから、一房百両ですね。さぁどうぞ、お召し上がりください」
若旦那、十分に味わいながら七房食べて満足しました。残った三房を番頭に手渡しながらこう言います。
「この三つのうち二つはお父つぁんとおっ母さんに、残りの一つは、いろいろ骨を折ってくれたお前が食べておくれ」
「さようですか、では遠慮なく私も頂戴いたします」
受け取ったみかん三房を手に若旦那の座敷を後にした番頭、廊下でみかんを眺めながらつくづく考えました。
「私が当家に奉公に上がったのが十三のときで、それがもうそろそろ頭が禿げ上がってこようかという今だ。うまくいけば来年にはようやくのれん分けをしてもらえる。そのときに頂けるお金はせいぜい三十両か、まさか五十両は頂けないだろう。ところがこのみかんは三百両。これから生涯、鞭打って働いたところで、三百両なんて金はこの手に握れるものじゃない。三百両、三百両、三百両!!」
番頭、みかん三房を持って、いなくなりました。


